東京地方裁判所 昭和33年(特わ)763号 判決 1966年12月27日
(一)
本店所在地 東京都台東区東上野五丁目一番三号
プラチナ万年筆株式会社
(旧商号プラチナ産業株式会社)
右代表者
中田俊一
(二)
本籍 東京都台東区東上野五丁目二九番地
住居
東京都台東区東上野五丁目一番三号
会社社長
中田俊一
明治三五年二月一五日生
(三)
本籍 東京都豊島区西巣鴨二丁目二、二七七番地
住居
東京都台東区寿二丁目八番七号
会社員
牛山一
大正九年五月一日生
(四)
本籍 岡山県上道郡上道町沼一、四七〇番地
住居
東京都台東区東上野一丁目二七番三号
会社員
三宅申夫
大正九年五月一一日生
右会社ならびに右の者等に対する法人税法違反各被告事件につき当裁判所は検事品田賢治、弁護人(一)、(二)、(三)、(四)とも平松勇(主任)、松宮隆、仁科哲がそれぞれ出席して公判を開き、次のように判決する。
主文
被告会社ならびに被告人中田、同牛山、同三宅の三名はいずれも無罪
理由
本件公訴事実は
「被告会社(昭和四〇年三月一〇日プラチナ万年筆株式会社と商号を変更、それまではプラチナ産業株式会社と称していた)は本社を東京都台東区北稲荷町二九番地(当時)に設け、文房具の製造販売を営業目的とする資本金四〇〇万円(当時、現在は八、〇〇〇万円)の株式会社であり、被告人中田は右会社の代表取締役として右会社の業務一切を統轄するもの、被告人牛山は右会社の工場長で技術を担当するもの、被告人三宅は右会社の経理部長であるが、被告人等三名は共謀の上、右会社の業務に関し法人税を免れる目的をもって、予金を簿外にする等の不正の方法により、
第一、昭和二九年一二月一日から昭和三〇年一一月三〇日までの事業年度(以下「三〇年一一月期」と略称する)において、被告会社の実際の所得金額が一、七二八万二、一六六円であったのに拘わらず、昭和三一年一月三一日所轄下谷税務署長に対し、所得金額が六九七万六、三〇九円である旨虚偽の所得申告をし、もって同会社の右事業年度の正規の法人税額六八八万七、八四〇円と右申告税額二七六万五、五二〇円との差額四一二万二、三二〇円をほ脱し
第二、昭和三〇年一二月一日から昭和三一年一一月三〇日までの事業年度(以下「三一年一一月期」と略称する)において、被告会社の実際の所得金額が二、六〇一万六、二九四円であったのに拘わらず、昭和三二年一月三一日所轄下谷税務署長に対し、所得金額が八〇二万九、三三九円である旨虚偽の所得申告をし、もって同会社の右事業年度の正規の法人税額一、〇三八万一、四八〇円と右申告税額三一八万六、七二〇円との差額七一九万四、七六〇円をほ脱し
たものである」。
というにある。そして右の実際の所得金額、虚偽の所得申告の金額ならびにほ脱所得算出の根拠は別紙第一、第二修正貸借対照表、ほ脱所得の内容は別紙第三、第四のとおりである。
そこで審理の上考察するに、
被告会社が本社を東京都台東区北稲荷町二九番地(当時)に設け、文房具の製造販売を営業目的とする資本金四〇〇万円(当時、現在は八、〇〇〇万円)の株式会社であり、被告人中田は右会社の代表取締役として右会社の業務一切を統轄するもの、被告人牛山は右会社の工場長で技術を担当するもの、被告人三宅は右会社の経理部長であることは、
一、法務事務官平井実の作成した登記簿謄本(第二分冊第一回公判)
二、被告人中田の当公判廷における供述(第一八分冊第六三回公判)
三、被告人牛山の当公判廷における供述(第一八分冊第六五回公判)
四、被告人三宅の当公判廷における供述(第一九分冊第六七回公判)
によってこれを認める。
次に被告人等三名が共謀の上右会社の業務に関し法人税を免れる目的をもって、予金を簿外にする等の不正の方法により、公訴事実第一、第二に記載したような脱税をしたものであるかどうかについて検討するに、
(一) 被告人中田がいずれも所轄下谷税務署長に対し、三〇年一一月期においては、昭和三一年一月三一日所得金額が六九七万六、三〇九円である旨、また三一年一一月期においては、昭和三二年一月三一日所得金額が八〇二万九、三三九円である旨の所得申告をしたことは
一、 押収にかかる
(1) 法人税申告書(二九、一二~三〇、一一)一冊(昭和三四年証第二〇二三号の三一、以下このような証拠物の表示については、単に「物三一」というような略号を用いる)
(2) 法人税申告書(三〇、一二~三一、一一)一冊(物三二)
によりこれを認める。
(二) 検察官は右の所得申告はいずれも虚偽であり、
(実際の所得金額) (申告所得金額) (ほ脱所得金額)
三〇年一一月期 一、七二八万二、一六六円 六九七万六、三〇九円 一、〇三〇万五、八五七円
三一年一一月期 二、六〇一万六、二九四円 八〇二万九、三三九円 一、七九八万六、九五五円
で、右ほ脱所得の内容は、別紙第三、第四のとおりであると主張するので、別紙第三、第四の勘定科目ごとに、検察官の主張するような事実があったかどうかについて考察することとする。
(イ) 予金計上洩(三〇年一一月期二、五九三万五、四九九円、三一年一一月期一、七九三万二、〇八二円)
一、 富士銀行上野支店の作成した残高証明書(付予金証明願)八通(第二分冊第一回公判)
二、 富士銀行上野支店長植田元の作成した証明書(定期予金)三冊(同右)
三、 三菱銀行上野支店の作成した残高証明書(付証明書、普通予金勘定照合票等)九通(第三分冊第一回公判)
四、 三菱銀行下谷支店長江崎武作成の証明書(定期予金)一冊(同右)
五、 日本勧業銀行上野支店長南隆春作成の残高証明書及び予金元帳写の証明書提出についてと題する書面一綴(同右)
六、 日本勧業銀行下谷支店長南隆春の作成した証明書(定期予金)計三冊(同右)
七、 銀行調査元帳一綴(第四分冊第三回公判)
八、 証人歌門英雄の当公判廷における供述(第三回)(第二〇分冊第七四回公判)
九、 押収にかかる
(1) 総勘定元帳(昭和三一年)九冊中の五(物二)
(2) 総勘定元帳(昭和三〇年)一冊(物三)
(3) 法人税申告書(29・12・30・11)一冊(物三一)
(4) 法人税申告書(30・12・31・11)一冊(物三二)
を総合すれば、別紙第三、第四のうちの各予金計上洩の説明欄に記載されているような予金があり、それらが被告会社の確定申告書に記載されておらず、簿外になっていることが認められる。
検察官は、右の予金中三〇年一一月期の期首の一億一、二四六万五、五六六円は被告会社に帰属するものであり、また同月期の期中増加額二、五九三万五、四九九円、三一年一一月期の期中増加額一、七九三万二、〇八二円の源泉も被告会社が簿外にした資金にあり、該資金は、
(a) 架空仕入計上によるもの(三〇年一一月期一、八〇七万三、七八六円、三一年一一月期二、八三二万七、六六〇円)
(あ) イリドスミンの架空仕入計上によるもの(三〇年一一月期一、三六三万六、二一〇円、三一年一一月期一、九四七万三、〇〇〇円)
(い) イリドスミン以外の原材料の架空仕入計上によるもの(三〇年一一月期四四三万七、五七六円、三一年一一月期八八五万四、六六〇円)
(b) 架空経費計上によるもの(三〇年一一月期四五〇万九、二〇二円、三一年一一月期八八二万三、二四〇円)
(あ) 加工賃の架空計上によるもの(三〇年一一月期一一九万四、一二〇円)
(い) 広告宣伝費の架空計上によるもの(三〇年一一月期三三一万五、〇八二円、三一年一一月期六六八万一、二四〇円)
(う) 厚生費の架空計上によるもの(三一年一一月期九四万二、〇〇〇円)
(え) 接待費の架空計上によるもの(三一年一一月期一、二〇〇万円)
(c) 受入利息計上洩によるもの(三〇年一一月期五二九万五、五五三円、三一年一一月期六三九万六、二七四円)の各種類より成っているが、その成立過程についていえば、被告人三宅が右(a)の架空仕入、(b)の架空経費の計上によって簿外にした資金を被告人中田に交付し、同被告人が前記予金計上洩の説明欄に記載されている各銀行に予金して予金計上洩を生ぜしめたものであり、さらに右(c)は被告人三宅や同中田が該予金および昭和二九年一一月期(以下これを「前期」と呼ぶ)において右と同様の方法により蓄積した被告会社の簿外予金から発生した利息、割増金であると主張する(検察官の冒頭陳述の補充説明書の二頁以下参照)ので、以上の諸点につき順次検討を加えることとする。
(a) 三〇年一一月期の期首の予金一億一、二四六万五、五六六円が被告会社に帰属するものであるとの主張について、
一、 鈴木記三郎右衛門の検察官に対する供述調書(第四分冊第三回公判)
二、 証人歌門英雄の当公判廷における供述(第一回)(第六分冊第四、五回公判)
三、 証人田中一男、同島田要一(第一回)、同今西武、同岩橋福太郎、同富岡正俊に対する各証人尋問調書(第六分冊第五回公判、第五分冊)
四、 証人兼俊実夫、同福田芳治に対する各証人尋問調書(第六分冊第五回公判)
五、 証人金木利夫、同伊藤幸雄、同染谷邦雄の当公判廷における各供述(第七分冊第六回公判)
六、 証人上野好一、同柴田泰作の当公判廷における各供述(第七分冊第七回公判)
七、 証人彦根実の当公判廷における供述(第七分冊第八回公判)
八、 証人高柳秋雄の当公判廷における供述(第七分冊第九回公判)
九、 証人高橋広治の当公判廷における供述(第一三分冊第三三回公判)
一〇、 通産省調査統計部鉱業統計課編、本部鉱業の趨勢(写)(第一三分冊第三四回公判)
一一、 札幌通産局の作成した累年鉱業統計(写)(同右)
一二、 札幌通産局長阿部久一の作成した捜査関係事項の照会回答書(同右)
一三、 舟橋要の検察官に対する供述調書第六項(第一五分冊第四六回公判)
一四、 土谷誠一の検察官に対する供述調書第三項(同右)
一五、 田中一男の検察官に対する供述調書第二、三項(同右)
一六、 市川孝平の検察官に対する供述調書第二項(同右)
一七、 今西武の検察官に対する供述調書第三、八項(同右)
一八、 梅原好三郎の検察官に対する供述調書第一項(同右)
一九、 石田一郎の検察官に対する供述調書第二項(同右)
二〇、 水野伊三郎の検察官に対する供述調書第八、九項(同右)
二一、 証人歌門英雄の当公判廷における供述(第二回)(第一六分冊第五四回公判)、(第三回)(第二〇分冊第七四回公判)
二二、 被告人中田に対する大蔵事務官の昭和三二年二月七日付質問顛末書(同右)
二三、 被告人三宅に対する大蔵事務官歌門英雄の昭和三二年二月七日付質問顛末書(二通)(同右)
二四、 財産税、富裕税調査簿写(第二一分冊第七四回公判)
二五、 大蔵事務官歌門英雄の作成した三二、六、二一付中田俊一所得税申告状況調(第二五分冊第七八回公判)
二六、
(1) 往復文書三通(物四〇)中の1の文書
(2) 雑記帳六冊(物四四)
(3) イリドスミン等の在庫帳二冊(物一一九)
(4) 在庫帳一冊(物一二〇)
(5) 貴金属受払簿一冊(物一二一)
(6) 古物台帳一冊(物一二二)
(7) 富裕税申告書等五綴(物一二三)
を総合すれば、右予金が被告会社に帰属するものであることを窺知し得るもののようであるが、右は後記各証拠に比し信をおきたく、かえって、
一、 証人武笠好雄の当公判廷における供述(第四分冊第二回公判)
二、 同江崎武の当公判廷における供述(第一回)(同右)
三、 同舟橋要の当公判廷における供述(第四分冊第三回公判)
四、 同大友一郎の当公判廷における供述(同右)
五、 同土谷誠一(第一回)に対する証人尋問調書(第六分冊第五回公判、第五分冊)
六、 同小島仁、同上田清蔵、同蚊野政吉、同藤田進(第二回)、同木下一郎(第一回)、同麻田幸嗣、同福田芳治(第二回)、同島田要一(第二回)、同川上健太郎、同大場佐吉、同高田由己、同三間敏行に対する各証人尋問調書(第一〇分冊第一六回公判、第九分冊)
七、 証人滝本佐一、同末松田二磨、同金井耕一、同森田金作、同茂手木豊太郎の当公判廷における各供述(第一〇分冊第一七回公判)
八、 同兼子義雄、同早川登の当公判廷における各供述(第一〇分冊第一八回公判)
九、 同森田芳江、同大和田重男、同荒谷栄、同森田勇の当公判廷における各供述(第一一分冊第二二回公判)
一〇、 同太田享の当公判廷における供述(第一回)(第一一分冊第二三、二四、二五回公判)
一一、 同松山林平の当公判廷における供述(第一回)(第一二分冊第二七回公判)
一二、 当裁判所の作成した昭和三七年一〇月三〇日付検証調書(第一三分冊第三六回公判、第一二分冊)
一三、 証人藤田進に対する証人尋問調書(第三回)(同右)
一四、 証人秋谷七郎の当公判廷における供述(第一二分冊第三二回公判)
一五、 鑑定人秋谷七郎の作成した鑑定書(同右)
一六、 証人塩谷重夫の当公判廷における供述(第一三分冊第四一回公判)
一七、 同太田享の当公判廷における供述(第二回)(第一四分冊第四三回公判)
一八、 同松山林平の当公判廷における供述(第二回)(同右)
一九、 同岸本増次郎、同押鐘孝之の当公判廷における各供述(第一四分冊第四五回公判)
二〇、 同桜井礼吉、同横田直吉、同石川清作、同武田稔夫の当公判廷における各供述(第一五分冊第四六回公判)
二一、 同金子徹の当公判廷における供述(第一五分冊第四七回公判)
二二、 同永岡源太郎の当公判廷における供述(第一五分冊第四八回公判)
二三、 同仁科幀弘、同室岡実の当公判廷における各供述(第一六分冊第五二回公判)
二四、 被告人中田の当公判廷における供述(第一八分冊第六三、六四回公判)
二五、 同三宅の当公判廷における供述(第一九分冊第六九回公判)
二六、 被告人中田に対する大蔵事務官の昭和三二年二月七日付、同月一三日付(ただし、同被告人がダイヤモンドや貴金属を昭和二六年までに売却したと供述している点を除く)、同年三月一九日付(同右)各質問顛末書、同被告人の検察官に対する昭和三三年一二月四日付(同右)、同月六日付、同月八日付(同右)、同月九日付、同月一九日付、同月二二日付、同月二四日付各供述調書(第二〇分冊第七四回公判)
二七、 被告人三宅に対する大蔵事務官歌門英雄の昭和三二年二月一二日付質問顛末書、同被告人の検察官に対する昭和三三年一二月四日付、同月八日付、同月一〇日付各供述調書(同右)
二八、 昭和三四年七月一三日付石福金属興業株式会社作成に係る被告会社宛取引証明書(二葉)(第二一分冊第七四回公判)
二九、 島田要一の検察官に対する供述調書中第五項ないし第一項(同右)
三〇、 押収にかかる
(1) 富士銀行下谷支店プラチナ産業取引状態調一袋(物八)
(2) 担保差入証一二通(物三三)
(3) 念書二五通(物三四)
(4) 手形貸付元帳(担保明細)二葉(物三五)
を総合すれば、
(あ) 被告人中田は戦前から金、銀、白金、ダイヤモンド、イリドスミンを相当多量に所有し、終戦当時には金約五貫、銀約一五〇貫、白金約一貫五〇〇匁、ダイヤモンド約四〇〇個、イリドスミン約三貫五〇〇匁を保有していた、
(い) 終戦後昭和二一年秋さらに阿部締雄の妻からダイヤモンド約五五〇個を購入したが、それらの金、銀、白金、ダイヤモンドはすべて昭和二二、三年頃から昭和二八年頃までの間に被告会社に出入する外国人バイヤーに売却してその代金を入手した、
(う) イリドスミンは終戦後から昭和二九年一一月頃までに合計約二貫八〇〇匁を購入したが、そのうち一八〇勿を昭和二六年七月頃石川清作に売り、他は昭和二八年頃から昭和二九年一一月頃までに約二貫を被告会社に売却してその代金を受取った、
(え) 右以外に被告人中田は土地、家屋、有価証券を売却してその代金を取得し、また貸金の利息、株券の配当、不動産の賃貸料等をも取得した、
(お) 同被告人は以上(い)、(う)、(え)によって得た金員を別紙第三の予金計上洩の説明欄にある富士銀行上野支店、三菱銀行下谷支店、日本勧業銀行下谷支店に逐次予金した結果、三〇年一一月期の期首にあるような一億一、二四六万五、五六六円の予金ができたのであって、右の予金は被告人中田個人の所有に属するものである、
ことを認定することができる。
(b) 三〇年一一月期の期中増加額二、五九三万五、四九九円、三一年一一月期の期中増加額一、七九三万二、〇八二円は被告会社が簿外にした資金から生じたとする主張について
右の簿外資金は前述のとおり、次の三種から成り立っているので、その各々について検討を加えることとする。
(あ) 架空仕入計上によるもの(三〇、一一月期一、八〇七万三、七八六円、三一、一一月期二、八三二万七、六六〇円)
Ⅰ° イリドスミンの架空仕入計上によるもの(三〇、一一月期、一、三六三万六、二一〇円、三一、一一月期一、八七六万八、〇〇〇円)
被告会社の公表帳簿である材料簿三冊(物六)、金、銀、金ペン、金張部品在庫帳三〇年一冊(物一七)によれば、被告会社におけるイリドスミンの仕入計上高は
三〇年一一月期 三貫二五二匁七二 一、六八一万七、五四一円
三一年一一月期 四貫一四八匁一〇 二、六六六万八、八七五円
であることが認められる。そして買掛金台帳三冊(物四)中の三号および買掛金帳三〇年二冊(物二一)によれば、被告会社においては、右仕入計上高のうち、別紙第五記載のように、被告人中田外八名から
三〇年一一月期 二貫六七二匁〇四 一、三六三万六、二一〇円
三一年一一月期 二貫五七五勿 一、八七六万八、〇〇〇円
のイリドスミンを仕入れたことを認めることができる。
検察官は右の別紙第五の仕入れは、相手方の実在しない架空の取引であると主張するので考察するに、
一、 証人歌門英雄の当公判廷における供述(第六分冊第四、五回公判)
二、 証人田中一男、同島田要一(第一回)、同今西武、同岩橋福太郎、同梅原好三郎、同富岡正勝、同兼俊実夫、同福田芳治(第一回)に対する各証人尋問調書(第六分冊第五回公判、第五分冊)
三、 証人金木利夫、同伊藤幸雄、同染谷邦雄の当公判廷における各供述(第七分冊第六回公判)
四、 証人加藤文雄、同日下勇、同上野好一、同柴田泰作の当公判廷における各供述(第七分冊第七回公判)
五、 証人彦根実、同大杉健夫、同栗田新一の当公判廷における各供述(第七分冊第八回公判)
六、 警視庁科学検査所長の作成した鑑定結果回答についてと題する書面(付鑑定書)(第七分冊第一一回公判)
七、 造幣局東京支局長の作成した昭和三二年五月一〇日付分析報告書(一五枚)(同右)
八、 小林清三の検察官に対する供述調書(第八分冊第一三回公判)
九、 大蔵事務官布施木昭外六名の作成した検査顛末書一綴(同右)
一〇、 証人小田政辰、同田中幹郎、同水野伊三郎の当公判廷における各供述(第一〇分冊第一六回公判)
一一、 証人菊池幸江の当公判廷における供述(第一回)(第一二分冊第三二回公判)
一二、 警視庁科学検査所長の作成した昭和三四年二月一〇日付鑑定結果回答についてと題する書面(鑑定嘱託書謄本添付)(同右)
一三、 証人高橋広治の当公判廷における供述(第一三分冊第三三回公判)
一四、 舟橋要の検察官に対する供述調書中第六項(第一五分冊第四六回公判)
一五、 土谷誠一の検察官に対する供述調書中第三項(同右)
一六、 田中一男の検察官に対する供述調書中第二、三項(同右)
一七、 市川孝平の検察官に対する供述調書中第二項(同右)
一八、 今西武の検察官に対する供述調書中第三、八項(同右)
一九、 証人歌門英雄の当公判廷における供述(第二回)(第一六分冊第五四回公判)
二〇、 証人伊藤半次郎の当公判廷における供述(第一六分冊第五九回公判、第一七分冊第六〇回公判)
二一、 鑑定人伊東半次郎の作成した鑑定書、昭和四〇年四月二〇日付鑑定に対する釈明書(その一)(転写試験判定標準物等添付)、昭和四〇年六月二一日付鑑定に対する釈明書(その二)(資料3の1乃至3の5添付)中物三七に関する部分(第一七分冊第六〇回公判)
二二、 証人歌門英雄の当公判廷における供述(第三回)(第二〇分冊第七四回公判)
二三、 証人菊池幸江の当公判廷における供述(第二回)(同右)
二四、 被告人三宅に対する大蔵事務官歌門英雄の昭和三二年二月七日付質問顛末書(二通)(同右)
二五、 島田要一の検察官に対する供述調書中第五項ないし第一一項(同右)
二六、 被告人中田の作成した昭和三二年九月二一日付上申書(第二二分冊第七六回公判)
二七、 押収にかかる
(1) 三〇年末払金領収証二一冊(物一二)
(2) 領収証、納品書等用紙一袋(七冊)(物二三)
(3) 三一年度買掛金、納品書、請求書等綴二綴(物二五)
(4) 同一綴(物二六)
(5) 三一年度未払金納品書領収書等綴一綴(物二七)
(6) 鑑定書のメモ(写)一綴(物一二九)
を総合すれば、検察官の主張するように、別紙第五の仕入れは、相手方の実在しない架空の取引であることを窺知し得るもののようであるが、右は後記各証拠に比し信をおきがたく、かえって、
一、 証人舟橋要の当公判廷における供述(第四分冊第三回公判)
二、 証人土谷誠一に対する証人尋問調書(第一回)(第六分冊第五回公判、第五分冊)
三、 証人川村寛の当公判廷における供述(第一回)(第六分冊第五回公判)
四、 造幣局東京支局長の作成した昭和三二年七月一三日付(二枚)、昭和三三年一月二〇日付(二三枚)、同年九月二六日付(一枚)各分析報告書(第七分冊第一一回公判)
五、 証人小島仁、同上田清蔵、同蚊野政吉、同藤田進(第二回)、同木下一郎(第一回)、同麻田幸嗣、同福田芳治(第二回)、同島田要一(第二回)、同川上健太郎、同大場佐吉、同高田由己、同三間敏行に対する各尋問調書(第一〇分冊第一六回公判、第九分冊)
六、 証人金井耕一、同森田金作、同茂木豊太郎の当公判廷における各供述(第一〇分冊第一七回公判)
七、 証人星野綾子、同兼子義雄(第一回)、同早川登、同川村寛(第二回)、同永井岩の当公判廷における各供述(第一〇分冊第一八回公判)
八、 証人森田芳江、同大和田重男、同荒谷栄一、同森田勇の当公判廷における各供述(第一一分冊第二二回公判)
九、 証人太田享の当公判廷における供述(第一回)(第一一分冊第二三、二四、二五回公判)
一〇、 証人矢吹武雄の当公判廷における供述(第一回)(第一一分冊第二五回公判)
一一、 証人松山林平の当公判廷における供述(第一回)(第一二分冊第二七回公判)
一二、 当裁判所の作成した昭和三七年一〇月三〇日付検証調書(第一三分冊第三六回公判、第一二分冊)
一三、 証人藤田進に対する証人尋問調書(第三回)(同右)
一四、 証人秋谷七郎の当公判廷における供述(第一二分冊第三二回公判)
一五、 鑑定人秋谷七郎の作成した鑑定書(同右)
一六、 証人塩谷重夫の当公判廷における供述(第一三分冊第四〇回公判)
一七、 証人太田享の当公判廷における供述(第二回)(第一四分冊第四三回公判)
一八、 証人松山林平の当公判廷における供述(第三回)(第一六分冊第五三回公判)
一九、 証人太田享の当公判廷における供述(第三回)(同右)
一〇、 鑑定人伊東半次郎の作成した鑑定書、昭和四〇年四月二〇日付鑑定に対する釈明書(その一)(転写試験判定標準物等添付)、昭和四〇年六月二一日付鑑定に対する釈明書(その二)(資料3の1乃至3の5添付)中物三六に関する部分(第一七分冊第六〇回公判)
二一、 被告人中田の当公判廷における供述(第一八分冊第六三、六四回公判)
二二、 被告人牛山の当公判廷における供述(第一八分冊第六五回公判、第一九分冊第六六回公判)
二三、 被告人三宅の当公判廷における供述(第一九分冊第六七、六九、七一、七二回公判)
二四、 証人小山長規の当公判廷における供述(第二〇分冊第七四回公判)
二五、 被告人三宅に対する大蔵事務官の昭和三二年二月一二日付質問顛末書、同被告人の検察官に対する昭和三三年一二月四日付、同月二四日付、同月二五日付各供述調書(同右)
二六、 被告人牛山に対する大蔵事務官の昭和三二年三月一九日付質問顛末書、同被告人の検察官に対する昭和三三年一二月五日付、同月六日付、同月八日付、同月一〇日付、同月一二日付、同月一七日付、同月二二日付、同月二四日付各供述調書(第二一分冊第七四回公判)
二七、 被告人中田の作成した昭和三二年一一月付上申書(第二二分冊第七六回公判)
二八、 被告人牛山の作成した追加上申書(同右)
二九、 証人太田享の当公判廷における供述(第四回)(第二五分冊第七八回公判)
三〇、 被告人牛山の当公判廷における供述(同右)
三一、 被告人三宅の当公判廷における供述(同右)
三二、 被告人中田の当公判廷における供述(同右)
三三、 昭和三三年九月一九日付被告人中田宛封書(島田要一)(同右)
三四、 一〇月三〇日付被告人三宅宛書面(同右)(同右)
三五、 昭和三三年九月二四日付被告人中田宛封書(同右)(同右)
三六、 押収にかかる
(1) 総務部長手帳一〇冊(物一)中の七号
(2) 材料簿三冊(物六)
(3) 金、銀、金ペン、金張部品在庫帳三〇年一冊(物一七)
(4) 在庫帳(金張その他)二九年一冊(物一九)
(5) 白金属使用明細帳三冊(物二八)(以下これを「牛山ノート」と呼ぶ)
(6) イリジューム配合合金ノート(大)一冊(物三六)(以下これを「太田ノート(大)」と呼ぶ)
(7) 同ノート(小)一冊(物三七)(以下これを「太田ノート(小)」と呼ぶ)
(8) 領収証二枚(物四七)のうち三八五万円に関するもの
(9) 白ペン先(物四八ないし六〇)
(10) イリドスミンを含む合金塊三個(タンマン管の中で出来たもの)(物六一)
(11) 同上(タンマン管から流れ出たもの)(物六二)
(12) 被告会社発行のパンフレット四冊(物八二)中の第三、第四版
(13) 砂白金(物一一五)
(14) 砂金(鉛を含む)(物一一六)
(15) 砂鉄等(物一一七)
(16) 昭和二九年度未払帳一冊(物一二七)
(17) イリジュームと題する太田ノート一冊(物一二八)
(18) 手帳一冊(物一三〇)
(19) 分析報告書二通(物一三一)
(20) 成績書(工業技術院)一七通(物一三二)
(21) 同(東京都立工業奨励館)一四通(物一三三)
を総合すれば
<1> 被告会社では、三〇年一一月期および三一年一一月期においては、北海道産イリドスミンを、大部分は被告人中田から買入れ、ごく一部分を被告人牛山が直接北海道のブローカーから買入れていた。右の被告人中田から買入れた品は同被告人が北海道のブローカー等から購入して保有していたものである。
<2> 右の被告会社の買入れについては、被告人三宅が全部これを記帳していたが、その内容は別紙第五記載のとおりである。それによると一部は被告人中田の本名が記載されているが、その他の大部分は佐藤唯之助等八名の仮名を用いていた。これは、被告会社が被告人中田から、当時の価格より安く使わしてもらっていたので、その上同被告人に税金までを負担してもらうにしのびないという配慮から出たものである。
<3> 当時被告会社では
ア、その製作にかかる金ペン、一〇年ペンのペンポイントには本ジュームが装着されており、
イ、普通ペンのペンポイントに装着された代用ジュームのペンポイントにも本ジュームが混入されており
ウ、普通ペンのごく一部ではあるが、特定の地域に対する宣伝用として、そのペンポイントに本ジュームが装着されていた。
<4> 右のイリドスミンとは、イリジューム(以下 という)、オスミウム(以下Osという)、ルテニューム(以下Ru という)、ロジウム(以下Rhという)、プラチニューム(白金のこと、以下Piという)等の白金属元素が自然に合金した合金体を指称するのであるが、その主成分が〇またはOsであるところから、戦前から単に「イリジューム」、「ジューム」または「オスミリジューム」と呼ばれていた。そしてわが国の万年筆やペン先製造業界では従前から、もっぱら北海道産のイリドスミンのみを使用していたが、これを北海道産イリドスミンとは呼ばず、右のように「イリジューム」「ジューム」「オスミリジューム」と呼ぶのが常であった。
ところが戦時中イリドスミンあるいは〇等の白金属が統制になり、その生産が禁止されたので、業者はやむなくニッケル、クローム、タングステン等白金属以外の金属を使用し、これを熔解合金して「ジューム」の代用物を作り、これを「代用ジューム」と称するようになった。これに対し、従来「ジューム」「イリジューム」と呼んでいた北海道産イリドスミンを「本ジューム」または「本イリジューム」と呼ぶようになって今日にいたった。
被告会社においてペン先に装着するペンポイントには、前記<3>にのべたように、本ジュームが使用または混入されていたが、そのペンポイントを作るには、本ジュームを熔解して大玉を作り、これを粉砕して小玉にしてペン先に装着するのである。そして本ジュームの大玉を作るには次の四種の方法がある。
ア、北海道産イリドスミン自体を熔解するーこれが普通である。
イ、北海道産イリドスミンに〇またはOsを若干配合して熔解するーこれはごくわずかである。
ウ、南阿産(まれにタスマニヤ産)イリドスミンにIr、Os、Ru、Pt、など数種の白金属元素を配合して熔解するーこれはすべての場合に然りであって、南阿産(またはタスマニヤ産)イリドスミンだけを熔解することは全然ない。
エ、Ir、Os、Ru、Rh、パラジューム、Pt等の白金属元素を混合して熔解するーこれもごくわずかである。
右の南阿産(またはタスマニヤ産)イリドスミンおよびIr、Os等の白金属元素はすべて輸入物で、被告会社では昭和二八年九月頃から田中貴金属工業株式会社から購入していた(ただしRhだけは佐藤正夫から購入した。別紙第七の備考欄参照)。
被告会社の帳簿類には、南阿産またはタスマニヤ産イリドスミンの場合には南阿、またはタスマニヤと記載され、白金属元素の場合にはIr、Osなどの元素記号が用いられていた。
以上の次第なので、別紙第五の品名欄にある「イリジューム」「オスイリジューム」「オスミリジューム」「イリドスミン」はいずれも北海道産イリドスミンを指称するものである。
<5> 牛山ノート(物二八)は昭和二九年二月から昭和三二年二月までの間、被告会社の事務員星野綾子が、上司である被告人牛山から、イリドスミン等を熔解して本ジュームの大玉を作る際の配合イリドスミン、白金属元素名、その配合重量を記載したメモを受け取り、所要の原料を指示されたとおり計量して混合する際に、自ら記載したもので、その内容はそのほとんどが輸入物で、ごく一部が北海道産イリドスミンに関するものであり、また星野綾子自らが計量したイリドスミンや白金属元素に関するもので、該ノート以外に後述の被告会社の技術課長(その後技術部長に昇進)太田享が自ら計量して熔解合金したイリドスミンや白金掲元素があるのであるから、牛山ノートの記載だけで、被告会社の使用したイリドスミンや白金属元素の総量を示すものということはできない。
<6> 次に太田ノート(大)(物三六)および同(小)(物三七)は、いずれも昭和二九年二月六日右太田享が、被告人中田から、本ジュームの熔解合金ならびに代用ジュームの合金に関する研究を命ぜられて自ら記載したもので、その内容ならびに記載の期間は
ア、太田ノート(大)は、本ジュームを熔解して大玉を作るに当り、研究資料とするため配合比率、熔解条件等を記載したもので、その記載の期間は、昭和二九年三月から昭和三一年五月までである。
イ、太田ノート(小)は、ニッケル、クローム、タングステン等白金属元素に属しない金属に、少量の本ジュームの大玉を砕いたものを配合し、これを熔解合金して代用ジュームの大玉を作るに当り、前同様のデーターを記載したもので、その記載の期間は、昭和二九年三月から昭和三一年一二月までである。
右両ノートはいずれもその日付の日時に太田享によって記載されたもので、その記載内容は信をおくに足り、とくに太田ノート(小)が各日付の日時から数年後に記載されたものであるとは到底いい得ない。
<7> 被告会社が三〇年一一月期、三一年一一月期に使用したイリドスミンおよび白金属元素の数量を算出するためには
ア、太田ノート(小)は必要がない。なぜなら、前述のとおり、同ノートは代用ジュームの大玉を作る場合に関するもので、その代用ジュームの大玉を作る際には、少量の本ジュームの大玉(同ノートではIrまたはIrをもってこれが表示されている)を砕いたものを混入するのであるが、右の本ジュームは太田ノート(大)に記載された本ジュームを使用するので、これを計算のなかに入れると、太田ノート(大)に記載されたイリドスミンや白金属元素と重復するからである。
イ、太田ノート(大)と牛山ノートの双方を用いることが必要で、かつこれをもって足りる。
これを詳説すれば
A、同ノート中同一日付、または接着した日付で、同一物と思われるものについては、両者のうち一つを選び
B、太田ノート(大)に記載があって、牛山ノートに記載がないものは、これを計算のなかに入れる
C、逆に、牛山ノートに記載があって、太田ノート(大)に記載がないものについても、前同様これを計算のなかに入れることとして、右三者の合計を算出する。そしてノートとも、太田享および星野綾子が研究あるいは計量の都度正確、忠実に記載したものであるから、右三者の合計は被告会社の当時のイリドスミンおよび白金属元素の使用量の総体を示すものといえる。
<8> 右太田ノート(大)および牛山ノートに記載された記号等についてであるが、
ア、太田ノート(大)について
A、同ノート中にある、南阿は南阿産イリドスミン、タスマニヤはタスマニヤ産イリドスミン、Ir、Osなどの元素記号はそれぞれの白金属元素を指し
B、同ノートにある Iridosmin、本ジューム粉末、 Iridosmin Powder、北海道、本ジューム粉末再熔解の本ジューム粉末、本ジューム再熔解の本ジューム、再熔解本ジュームの本ジューム、イリドスミン、粉末再熔解の粉末、再熔解、再熔解ジュームのジューム、粉末再熔解ジュームの粉末ジューム、再熔解(粉末)ジュームの(粉末)ジューム、粉末本ジューム熔解の粉末ジューム、再熔解ジューム(粉末)のジューム(粉末)、 Iridosmin 粉末、本イリジューム、本ジューム粉末 Powder はすべて北海道産イリドスミンを示す。
C、右にある「再熔解」とは、北海道産イリドスミンを熔解して本ジューム大玉を作るに際し、不純物(いわゆるのろ)が一回でとり切れない場合に再度あるいはそれ以上熔解する場合を指称するもので、一回でとり切れた場合を単に熔解といっている。そこでイリドスミンの使用量の計算に当っては、「再熔解」とあるものは、単に「熔解」とあるものと同様、これを加算すべきものである。
イ、牛山ノートについて
A、右ノート中にある北海道、南阿、タスマニヤとあるのはそれぞれの地域から産出されるイリドスミンを指し、Ir、Osなどの元素記号は、それぞれ白金属元素を示すものである。
B、同ノートの二号および三号のなかに、粉末再熔解、金ペン用粉末、再熔解(金ペン用)、再熔解、イリドスミンと記載してあるものがあるが、その語義は太田ノート(大)の場合と同様で、北海道産イリドスミンを指し、かつ再熔解とあるのも太田ノート(大)と同様使用量に加算すべきである。なお、牛山ノートの三号の裏面から記載した部分の昭和三一年八月一日の個所には、「今までの吹直しを再熔解する」とあるが、吹直しとは、イリドスミン等を熔解合金して本ジューム大玉を作るに際し容器であるタンマン管に少量のイリドスミンが附着するのが常であり、また本ジューム大玉が現場に出されて小玉を作る場合等において合金不十分で使用不能とされるものがある、これらタンマン管附着のものまたは合金不十分のものをまとめて合金のし直しをすることをいうのであるから、「今までの吹直しを再熔解する」という記載は誤りであり、正確には、「今までの吹直しを再吹直しする」と記載すべきものである。
<9> 以上るる述べたところに従い、太田ノート(大)、牛山ノートの双方を総合し、太田ノート(大)に記載されている昭和二九年三月から昭和三一年五月までの間において、被告会社が使用じた輸入イリドスミンおよび北海道産イリドスミンの数量を当裁判所が計算し、これと被告会社の公表帳簿に記載された両イリドスミンの仕入量と払出量とを比較したものが別紙第六である。また太田ノート(大)と牛山ノートの双方を総合し、両者におけるOs、Ru、Rhの使用量と公表帳簿におけるそれ等の仕入量との比較を示したのが別紙第七である。
ア、別紙第六につき
A、これによると、三〇年一一月期においては、輸入イリドスミンは、公表の仕入は一貫〇〇七匁二二であるのに太田ノート(大)、牛山ノートの双方では二貫三四六匁五一という多量を消費しているのに反し、北海道産イリドスミンは、公表の仕入は二貫二四五匁五〇であるのに、両ノートでは一貫一一二匁九〇しか消費されていない。これは、前期(正確にいえば昭和二九年三月から同年一一月まで)において、輸入イリドスミンを三貫一二七匁八九二も仕入れたのに、両ノートでは二貫一七一匁五七しか使用せず、約九五六匁余っているのに、北海道産イリドスミンは九三三匁三四六しか仕入れないのに二貫一二七匁もの多量を、主として被告人中田から入手して使用し、差引約一貫一九四匁の記帳洩れを生じた、(この外に昭和二九年三月初め現在の繰越イリドスミンが五四八匁四二八ある。)この約一貫一九四匁を三〇年一一月期において被告人三宅が被告会社の金ぐりを見て、順次仕入に計上し、そのために二貫二四五匁五〇という多量の仕入を生じたようになり、一方輸入イリドスミンの方は前期の使用残し分約九五六匁を併せ、仕入量の倍以上の消費をしたものである。右のような関係は三一年一一月期(正確にいえば昭和三〇年一二月から昭和三一年五月まで)と三〇年一一月期との関係にもあてはまる。また公表の仕入量と払出量は各期においておおむね一致している。そこで実際の使用量と公表の仕入量ならびに払出量との比較は前期、三〇年一一月期、三一年一一月期の三期全部、すなわち昭和二九年三月から昭和三一年五月までを通して計算してすべきものである。
B、このような計算の結果は、別紙第六の総計欄にあるように、公表の仕入量は輸入、北海道産イリドスミンを併せ九貫八五五勿四五八、これに二九年三月始めにおける繰越量五四八匁四二八を加えると計一〇貫四〇三勿八八六、また公表の払出量は九貫八九二匁、外に三一年六月への繰越量五一一匁八七があるから、両者を合せると一〇貫四〇三勿八七となる、これに対し両ノートにおける輸入、北海道産イリドスミンの使用量の合計は一〇貫八六〇匁二七となり、公表の仕入量、払出量と実際の使用量とはおおむね見合うということがいえる。そこで別紙第五の明細表中佐藤唯之助からのオスミュームに関する仕入を除くその他の仕入は、仮名ではあるが、被告人中田等との間に行われた真実の取引で、架空の取引ではないことが認められる。
イ、別紙第七につき
別紙第七において、太田ノート(大)と牛山ノートを総合した被告会社のOs、Ru、Rh、の使用量と公表のOs、Ru、Rh、の仕入量を比較すると、その合計欄にあるとおり、両者はいずれもほぼ見合っているので、別紙第五の明細表中佐藤唯之助からのオスミュームに関する仕入もまた、仮名ではあるが、真実の取引であり、架空仕入ではないことが認められるとともに、太田ノート(大)、牛山ノートの記載が正確で、イリドスミンや白金属元素に関する被告会社の公表帳簿の記載も真実なものであることが裏書される。
<10> そこで別紙第五に記載された北海道産イリドスミンおよびオスミュームの仕入は、すべて真実の取引であって、架空仕入ではないことを認定することができる。
Ⅱ° イリドスミン以外の原材料の架空仕入計上によるもの(三〇年一一月期四四三万七、五七六円、三一年一一月期八八五万四、六六〇円)
被告会社の公表帳簿である買掛金台帳三冊(物四)、買掛金帳三〇年一冊(物一八)、買掛金帳三〇年二冊(物二一)によれば、被告会社においては、別紙第八記載のように、水谷商店等から、イリドスミン以外の原材料を
三〇年一一月期に 合計四四三万七、五七六円
三一年一一月期に 合計八八五万四、六六〇円
仕入れたことを認めることができる。
検察官は右の仕入れは、相手方の実在しない架空の取引であると主張するので検討するに
一、 証人歌門英雄の当公判廷における供述(第六分冊第四、五回公判)
二、 証人栗田新一の当公判廷における供述(第七分冊第八回公判)
三、 警察庁科学検査所長の作成した鑑定結果回答についてと題する書面(付鑑定書)(第七分冊第一一回公判)
四、 大蔵事務官布施木昭外六名の作成した検査顛末書一綴(第八分冊第一三回公判)
五、 東京国税局調査査察部から発送した水谷商店宛封筒外一綴(同右)
六、 同松川昇二宛封筒外一綴(同右)
七、 同中野商店宛封筒外一綴(同右)
八、 被告人三宅に対する大蔵事務官歌門英雄の作成した質問顛末書(二通)(第二〇分冊第七四回公判)
九、 大蔵事務官歌門英雄の作成した昭和三三年一一月二七日付上申書(第二二分冊第七六回公判)
一〇、 押収にかかる
(1) 三〇年買掛金及未払金領収証二六冊(物一一)中の一号、一一号
(2) 三〇年未払金領収証二一冊(物一二)中の一四号
(3) 買掛金帳(昭和三〇年)二冊(物二一)
(4) 未払金綴一綴(物二二)
(5) 領収証納品書等用紙一袋(七冊)(物二三)
(6) 三一年度買掛金、納品書、請求書等綴二綴(物二五)
(7) 同一綴(物二六)
(8) 三一年度未払金納品書領収書等綴一綴(物二七)
(9) 二九年度買掛金領収証一冊(物四六)
を総合すれば、本件仕入が検察官の主張するように、相手方の実在しない架空の取引であることを窺知し得るもののようであるが、右は後記各証拠に比し、信をおきがたく、かえって、右仕入中
<1> 三〇年一一月期と三一年一一月期の飯山製作所に関する取引は、
一、 証人斉藤昭夫の当公判廷における供述(第一三分冊第三八回公判)
二、 被告人三宅の検察官に対する昭和三三年一二月二二日付供述調書(第二〇分冊第七四回公判)
三、 押収にかかる三一年度買掛金、納品書、請求書等綴二綴(物二五)の一号に綴りこまれてある飯山あるいは飯山製作所名義の請求書、領収証、納品書
によれば、斉藤製作所こと斉藤昭夫を相手方とする被告会社の真実の仕入であることが認められ
<2> 三〇年一一月期の辻製作所に関する取引は
一、 証人中尾保の当公判廷における供述(第一三分冊第三八回公判)
二、 被告人三宅の検察官に対する昭和三三年一二月二二日付供述調書(第二〇分冊第七四回公判)
三、 押収にかかる三〇年未払金領収証二一冊(物一二)中の一四号に綴りこまれている辻または辻製作所名義の領収証、納品書、請求書
によれば、中尾金属製作所こと中尾保からの被告会社の真実の仕入であることが認められ
<3> 三〇年一一月期の玉村製作所に関する取引は
一、 証人柳橋長三の当公判廷における供述(第一三分冊第三八回公判)
二、 被告人三宅の検察官に対する昭和三三年一二月二二日付供述調書(第二〇分冊第七四回公判)
三、 押収にかかる三〇年未払金領収証二一冊(物一二)中の一号に綴りこまれてある玉村名義の領収証、納品書
によれば、柳橋製作所こと柳橋長三からの被告会社の真実の仕入であることが認められ
<4> 三一年一一月期の沢田商店に関する取引は
一、 鈴木記三郎右衛門の当公判廷における供述(第一三分冊第三八回公判)
二、 証人太田享の当公判廷における供述(第二回)(第一四分冊第四三回公判)
三、 証人松山林平の当公判廷における供述(第二回)(同右)
四、 田中貴金属工業株式会社発行の証明書(第二一分冊第七四回公判)
五、 押収にかかる総務部長手帳一〇冊(物一)中の七号
を総合すれば、右取引中
ア、金地金に関するものは、相手方が分らないが、実際に行われた仕入であり
イ、白金地金に関するものは、田中貴金属工業株式会社から仕入れたものである
ことが認められ
<5> その他の取引は
一、 被告人三宅の当公判廷における供述(第一九分冊第六七、六九、七二回公判、第二〇分冊第七四回公判)
二、 被告人三宅に対する大蔵事務官の昭和三二年二月一二日付質問顛末書、同被告人の検察官に対する昭和三三年一二月四日付、同月一〇日付、同月二二日付各供述調書(同右)
三、 被告人中田の当公判廷における供述(第二一分冊第七五回公判)
四、 被告人三宅の当公判廷における供述(第二五分冊第七八回公判)
を総合すれば、相手方が分らないが、実際に行われた取引であることが認められる。
<6> そこで別紙第八に記載されたイリドスミン以外の原材料の仕入は、すべて真実の取引であって、架空仕入ではないことを認定することができる。
(い) 架空経費計上によるもの(三〇年一一月期四五〇万九、二〇二円、三一年一一月期八八二万三、二四〇円)
Ⅰ° 加工賃の架空計上によるもの(三〇年一一月期一一九万四、一二〇円)被告会社の公表帳簿である買掛金帳三〇年二冊(物二一)中の二号によれば、別紙第九のうちの昭和三〇年一一月期の<1>加工賃の架空計上欄にあるように、小西ペン外四名にペン先の加工をさせて、その賃料を支払ったことが認められる。
検察官は、右の加工賃の支払は架空のものであると主張するので考察するに
一、 証人歌門英雄の当公判廷における供述(第六分冊第四、五回公判)
二、 証人栗田新一の当公判廷における供述(第七分冊第八回公判)
三、 東京国税局調査査察部の発送した水谷商店宛封筒外一綴(第八分冊第一三回公判)
四、 同松川昇二宛封筒外一綴(同右)
五、 被告人三宅に対する大蔵事務官歌門英雄の昭和三二年二月七日付質問顛末書(二通)(第二〇分冊第七四回公判)
六、 押収にかかる
(1) 三〇年買掛金及未払金領収証二六冊(物一一)中の一号
(2) 三〇年未払金領収証二一冊(物一二)中の一四号
(3) 領収証、納品書等用紙一袋(七冊)(物二三)
を総合すれば、右検察官の主張に添う事実を窺知し得るもののようであるが、右は後記各証拠に比し信をおきがたく、かえって、
一、 証人志岐喜代次の当公判廷における供述(第一四分冊第四三回公判)
二、 証人秋本芳蔵の当公判廷における供述(第一四分冊第四四回公判)
三、 押収にかかる
(1) 前記物一一中の一号
(2) 前記物一二中の一四号
を総合すれば
ア、小西ペンに対する取引は同店からの真実のペン先の仕入であり
イ、浅川常治、石井民治、猪熊正也、大野栄治に対する取引もまた、いずれも合資会社秋本製作所からの真実
Ⅱ° 公告宣伝費の架空計上によるもの(三〇年一一月期三三一万五、〇八二円、三一年一一月期六六八万一、二四〇円)
被告会社の公表帳簿である未払金台帳四冊(物五)の二号および未払金帳(昭和三〇年)三冊(物二〇)中の一、二号によれば、別紙第九の三〇年一一月期の<2>および三一年一一月期の<1>の広告宣伝費の欄にあるように、松川商店等に対し、のぼり、のれん、印刷物等の広告宣伝費の支払を計上していることが認められる。
検察官は右の支払が架空の取引であると主張するので考察するに
一、 証人歌門英雄の当公判廷における供述(第一回)(第六分冊第四、第五回公判)
二、 証人栗田新一の当公判廷における供述(第七分冊第八回公判)
三、 警察庁科学検査所長の作成した鑑定結果回答についてと題する書面(付鑑定書)(第七分冊第一一回公判)
四、 東京国税局調査査察部が発送した水谷商店宛封筒外一綴(第八分冊第一三回公判)
五、 同松川昇二宛封筒外一綴(同右)
六、 同山川印刷所宛封筒外一綴(同右)
七、 被告人三宅に対する大蔵事務官歌門英雄の昭和三二年二月七日付質問顛末書(二通)(第二〇分冊第七四回公判)
八、 大蔵事務官歌門英雄の作成した昭和三三年一一月二七日付上申書(第二二分冊第七六回公判)
九、 押収にかかる
(1) 前記物一一中の二号
(2) 未払金綴一綴(物二二)
(3) 前記物二三
(4) 同物二五
(5) 同物二六
(6) 同物二七
を総合すれば、検察官の右の主張に添う事実を窺知し得るもののようであるが、右は後記各証拠に比し信をおきがたく、かえって、前記取引中
ア、三一年一一月期の笠原印刷所との取引は、
一、 証人渡部平八郎の当公判廷における供述(第一四分冊第四四回公判)
二、 被告人三宅の検察官に対する昭和三三年一二月二二日付供述調書(第二〇分冊第七四回公判)
三、 押収にかかる前記物二二中笠原の耳のある綴りこみ
によれば、協和製函株式会社から真実に化粧箱を仕入れたものであることが認められ
イ、三一年一一月期の堀口印刷所との取引は
一、 証人桜井礼吉の当公判廷における供述(第一五分冊第四六回公判)
二、 同中田俊弘の当公判廷における供述(第一五分冊第四八回公判)
三、 被告人三宅の当公判廷における供述(第一九分冊第六九、七一、七二回公判)
四、 同被告人に対する大蔵事務官の昭和三二年二月一二日付質問顛末書、同被告人の検察官に対する昭和三三年一二月八日付、同月九日付、同月一〇日付各供述調書(第二〇分冊第七四回公判)
によれば、被告人三宅が同中田の三男である中田俊弘および被告会社の大阪出張所長桜井礼吉に対する特別接待費、交際費として支出したものの一部で、経費の科目はことなるが、被告会社の経費として支出したものであることが認められ
ウ、その他の取引は
一、 証人太田享の当公判廷における供述(第二回)(第一四分冊第四三回公判)
二、 同竹中田蔵、同浅井省治の当公判廷における各供述(第一四分冊第四四回公判)
三、 同岸本増次郎、同押鐘孝之、同兼子義雄(第二回)の当公判廷における各供述(第一四分冊第四五回公判)
四、 同吉羽健茲、同藤原善四郎、同花里薫男の当公判廷における各供述(第一五分冊第四六回公判)
五、 被告人三宅の当公判廷における供述(第一九分冊第六九、七一、七二回公判)
六、 同被告人に対する大蔵事務官の昭和三二年二月一二日付質問顛末書、同被告人の検察官に対する昭和三三年一二月四日付、同月八日付各供述調書(第二〇分冊第七四回公判)
七、 同被告人の当公判廷における供述(第二五分冊第七八回公判)
八、 押収にかかる
(1) 領収証二枚(物四七)中の五七万四、五〇〇円の証と題する書面
(2) 「万年筆の修理法」と題するパンフレット一冊(物一二六)
を総合すれば、いずれも、相手方は分らないが、実際に行なわれた取引であることが認められる。
そこで広告宣伝費の支払は、すべて真実の取引で、架空の支出ではないことを認定することができる。
Ⅱ° 厚生費の架空計上によるもの(三一年一一月期九四万二、〇〇〇円)
Ⅳ° 接待費の架空計上によるもの(三一年一一月期一二〇万円)
被告会社の公表帳簿である未払金台帳四冊(物五)中の二号によれば、別紙第九の三一年一一月期の<2>厚生費欄にあるように、沢田衣料店から作業衣等を、また同期の<3>接待費欄にあるように、松井菓子店外一名からつめ合せ等を購入してその代金を支払ったことが認められる
検察官は右の支払が架空であると主張するので考察するに
一、 証人歌門英雄の当公判廷における供述(第一回)(第六分冊第四、五回公判)
二、 証人栗田新一の当公判廷における供述(第七分冊第八回公判)
三、 警察庁科学検査所長の作成した鑑定結果回答についてと題する書面(付鑑定書)(第七分冊第一一回公判)
四、 東京国税局調査査察部の発送した松川昇二宛封筒外一綴(第八分冊第一三回公判)
五、 同山川印刷所宛封筒外一綴(同右)
六、 被告人三宅に対する大蔵事務官歌門英雄の昭和三二年二月七日付質問顛末書(二通)(第二〇分冊第七四回公判)
七、 大蔵事務官歌門英雄の作成した昭和三三年一一月二七日付上申書(第二二分冊第七六回公判)
八、 押収にかかる
(1) 前記物二二
(2) 同物二三
(3) 同物二六
(4) 同物二七
を総合すれば、検察官の右の主張に添う事実を窺知し得るもののようであるが、右は後記各証拠に比し信をおきがたく、かえって、
一、 証人桜井礼吉の当公判廷における供述(第一五分冊第四六回公判)
二、 証人中田俊弘の当公判廷における供述(第一五分冊第四八回公判)
三、 被告人三宅の当公判廷における供述(第一九分冊第六九、七一、七二回公判)
四、 同被告人に対する大蔵事務官の昭和三二年二月一二日付質問顛末書、同被告人の検察官に対する昭和三三年一二月八日付、同月九日付、同月一〇日付各供述調書(第二〇分冊第七四回公判)
を総合すれば、前記Ⅱ°のイの堀口印刷所との取引の場合と同様、被告人三宅が中田俊弘および桜井礼吉に対する特別接待費、交際費として支出したもので、被告会社の経費として実際に支出したものであることが認められる。
そこで厚生費および接待費の支出は、いずれも真実の支出であって、架空のものでないことを認定まることができる。
Ⅴ° 右により被告会社においては架空経費の計上は全然なかったことが肯認されるのである。
以上のような次第で、本件の三〇年一一月期および三一年一一月期の架空仕入の計上ならびに架空経費の計上はいずれもその事実がなく、すべて真実の仕入および真実の経費の計上であることが明らかになったが、それならば検察官が右架空仕入の計上および架空経費の計上にもとづくものと主張する予金の期中増加額は何によって発生したかについて検討するに
一、 証人武笠好雄、同江崎武(第一回)の当公判廷における各供述(第四分冊第二回公判)
二、 証人大友一郎の当公判廷における供述(第四分冊第三回公判)
三、 証人金子徹の当公判廷における供述(第一五分冊第四七回公判)
四、 被告人中田の当公判廷における供述(第一八分冊第六三、六四回公判)
五、 被告人三宅の当公判廷における供述(第一九分冊第六七、六九、七一、七二回公判)
六、 被告人中田に対する大蔵事務官の昭和三二年二月一三日付質問顛末書、同被告人の検察官に対する昭和三三年一二月四日付、同月一九日付、同月二二日付各供述調書(第二〇分冊第七四回公判)
七、 被告人三宅の検察官に対する昭和三三年一二月八日付供述調書
を総合すれば、被告人中田が前述のように、自己所有のイリドスミンを被告会社に売って同会社から受け取った代金、および同被告人が同人所有の宝石、貴金属を売った代金、土地、家屋、有価証券の売却代金、貸金の利息、株券の配当、土地、家屋の賃貸料等を預け入れたもので、したがって該預金はすべて被告人中田の個人所有に帰すべきものであることが認定される。
(う) 受入利息計上洩によるもの(三〇年一一月期五二九万五、五五三円、三一年一一月期六三九万六、二七四円)
一、 富士銀行上野支店の作成した残高証明書(付預金証明書)八通(第二分冊第一回公判)
二、 富士銀行上野支店長植田元の作成した証明書(定期預金)三冊(同右)
三、 三菱銀行上野支店の作成した残高証明書(付証明書、普通預金勘定照合表等)九通(第三分冊第一回公判)
四、 三菱銀行下谷支店江崎武作成の証明書(定期預金)一冊(同右)
五、 日本勧業銀行上野支店南隆春作成の残高証明書及び預金元張写の証明書提出についてと題する書面一綴(同右)
六、 銀行調査元帳一綴(第四分冊第三回公判)
によれば、本件預金の利息、割増金として、三〇年一一月期および三一年一一月期において、別紙第一〇にあるような金額が発生していることが認められる。
検察官は、右利息、割増金は被告会社が前記および三〇年一一月期において簿外蓄積した預金から生じたもので、被告会社の所有に属するものであると主張するが
一、 前記(二)の(イ)の(a)(一二頁)で認定した三〇年一一月期の期首の預金一億一、二四六万五、五六六円は、被告人中田が終戦後から昭和二九年一一月までに入手した宝石やイリドスミンなどの貴金属その他の売却代金等を逐次預け入れてできたものであって、右預金は同被告人の個人財産と目すべきものであるという事実
二、 前期(二)の(イ)の(b)(二三頁)の末尾において認定した、検察官が架空仕入および架空経費の計上であると主張した三〇年一一月期および三一年一一月期の預金の各期中増加額もまた、被告人中田個人が預け入れた預金で、同被告人の個人所有に属すべきものであるという事実
の外
三、 銀行調査元帳一綴(第四分冊第三回公判)
四、 被告人中田に対する大蔵事務官の昭和三二年六月一九日付質問顛末書(第二〇分冊第七四回公判)
五、 被告人中田の当公判廷における供述(第二五分冊第七八回公判)
を総合すれば、本件利息、割増金はいずれも、被告人中田の個人財産である預金から発生したものであるから、同被告人に帰属すべきもので、被告会社の所有に属するものでないことを認めることができる。したがって被告会社には検察官が主張するような、受入利息計上洩があるとはいいえない。
(え) 以上の次第につき、被告会社においては、両事業年度とも、預金計上洩が全然なかったことが肯認し得られるのである。
(ロ) 棚卸材料計上洩(三〇年一一月期△一、一〇七万八、九九〇円、三一年一一月期△五三一万八、六九八円)
検察官は、被告会社の公表帳簿にイリドスミンの架空仕入計上および架空使用量の計上があること、および牛山ノート(物二八)に記載されているイリドスミンの使用量が被告会社の実際のイリドスミン使用量であることを前提として、被告会社には次のようなイリドスミンの棚卸計上洩がある、
三〇年一一月期 一貫三〇匁 七〇五万八、五九〇円
三一年一一月期 二六九匁 一七三万九、八九二円
そこでこれを被告会社各年度の公表決算書の棚卸商品(棚卸材料が含まれている)科目にそれぞれ加算したものが各年度の実際棚卸高となる、結局本件各違反年度におけるほ脱所得額は、計上洩イリドスミン棚卸高の各期中減少額
三〇年一一月期 一、一〇七万八、九九〇円の減少
三一年一一月期 五三一万八、六九八円の減少
を除算すべきであると主張する。
しかしながら、前記認定のとおり、被告会社の公表帳簿にはイリドスミンの架空仕入計上および架空使用量の計上はなく、また牛山ノートに記載されているイリドスミンの使用量を被告会社の実際のイリドスミン使用量とすることは誤りであるから、これを前提とする検察官の棚卸計上洩の主張はこれを認める理由がないというべきである。
(ハ) 支払手形の架空計上(三〇年一一月期三二九万六、七二〇円、三一年一一月期五七万四、二〇〇円)
検察官は、被告会社の公表帳簿(前出物二、物七、物一五、物一六)および公表決算書(物三一、物三二)によれば、本件各違反年度期末における支払手形計上額は
三〇年一一月期 五、一一八万二、八八二円
三一年一一月期 七、四九五万〇、一四〇円
であるが、このうち架空支払手形の計上額は
三〇年一一月期 三八五万〇、三〇〇円
三一年一一月期 四四二万四、五〇〇円
であることが認められる、その架空支払手形の各期末計上額の明細は別紙第一一のとおりである、この架空支払手形は、イリドスミンの架空仕入先および架空経費の支払先に対する支払手形の各期末計上分であって、イリドスミン等の架空仕入や架空経費の計上が明白であるから、これら支払手形の計上もまた架空計上であることが明らかである、そこでこれらを被告会社の支払手形計上額から除算しなければ実際支払手形金額ということはできない、ところで本件各違反年度におけるほ脱所得金額は、各年度の架空計上分の期首と期末の増減額を加除算することを要するので、結局支払手形計上洩は
三〇年一一月期 三二九万六、七二〇円増
三一年一一月期 五七万四、二〇〇円増
となるので、これをほ脱所得に加算すべきであると主張する。
しかしながら、前述認定のとおり、被告会社にはイリドスミンの架空仕入や架空経費の支出の事実はないのであるから、本件手形もまた架空なものではない。故にこの点に関する検察官の主張もこれを認めることはできない。
(ニ) 買掛金の架空計上(三〇年一一月期△六三万〇、〇三三円)
検察官は、被告会社の公表帳簿(前出物九、物一八、物二〇、物二一)および公表決算書(前出物三一)によれば、前期末における買掛金計上額は六一一万三、一〇二円であるが、このうち六三万〇、〇三三円は架空買掛金の計上であり、その内容は、
(a) 飯山製作所分 二三万二、八〇三円
(b) 浅川常治分 二二万九、二三〇円
(c) 広沢商会分 一六万八、〇〇〇円
合計 六三万〇、〇三三円
であるが、右のうち(a)、(b)は前述のとおりイリドスミン以外の原材料の架空仕入の計上であり、また(c)は架空経費の計上であるから、このような買掛金の計上もまた架空であるというべきである、ところが右架空買掛金は、三〇年一一月期においていずれも現金で支払われたように公表帳簿上処理されているので、結局三〇年一一月期末には架空買掛金の計上はなく、かつ翌三一年一一月期末においても架空買掛金の計上は認められない、したがって前期否認した六三万〇、〇三三円の買掛金計上を三〇年一一月期において認容することとなるので、この三〇年一一月期のほ脱所得から六三万〇、〇三三円を差し引くべきである、と主張する。
しかしながら、前記認定のとおり
(a) 飯山製作所名義の取引分は、斉藤製作所こと斉藤昭夫から仕入れたクリツプの代金として支払われたものであり、
(b) 浅川常治名義の取引分は合資会社秋本製作所から仕入れたペン先の代金として支払われたものでありまた
(c) 広沢商店名義の取引分は、昭和二九年度未払金綴(物一三九)によれば、前期において被告会社が来客に対する土産用灰皿を購入したものであり
いずれも仮名ではあるが、実際の取引であるというべきである。したがって、本件買掛金の計上は、すべて架空ではなく、真実の仕入および経費の計上であるから、この点に関する検察官の主張もまたこれを容認することができない。
(ホ) 現金計上洩(三一年一一月期七七〇万円)
検察官は、昭和三一年一二月一日以降本件査察に着手した昭和三二年二月七日までの間において、銀行預金が七七〇万円増加している、ところが被告会社の公表帳簿等においては右期間においてイリドスミンやそれ以外の架空仕入計上や架空経費計上の事実および架空支払手形等の支払(決済)等の事実も認められないので、右増加分は三一年一一月期中において架空仕入または架空経費の計上等によって簿外とした資金を被告人中田の手許において留保していたものを、順次銀行預金として預け入れたものである、と主張する。
しかしながら、前記認定のとおり、三一年一一月期中には、被告会社においては、イリドスミンやイリドスミン以外の原材料の架空仕入、架空経費の計上等をした事実はなく、また本件の七七〇万円が右のような架空仕入、架空経費の計上等によって簿外とした資金であることの何等の証拠がないから、検察官の主張はこれを認めるに由なきものである。
(ヘ) 事業税認定損(三〇年一一月期△五八四万〇、九五〇円、三一年一一月期△一二三万七、三八〇円)
検察官は
(a) 前期における被告会社のほ脱所得金額は
Ⅰ° 簿外預金源泉額 三、五二七万〇、八五〇円
Ⅱ° 棚卸材料計上洩増加額 一、八一三万七、五八〇円
Ⅲ° 支払手形否認増加額 五五万三、五八〇円
Ⅳ° 買掛金否認減少額 △二三九万八、一二七円
Ⅴ° 輸出所得控除認容額 △二八八万九、三二六円
合計 四、八六七万四、五五七円
となるので、これに公表所得金額一、三八二万〇、七九〇円を加え、実際所得金額が六、二四九万五、三四七円であることが認められる、したがって三〇年一一月期において計上すべき前期の実際所得金額に対する事業税(一二%)は七四九万九、四三〇円となるのに、被告会社では一六五万八、四八〇円を計上しているにすぎないので、その差額五八四万〇、九五〇円を損金計上洩として認容し
(b) 三一年一一月期における実際事業税は、三〇年一一月期の実際所得金額一、七二八万二、一〇〇円(一〇円単位以下切捨て)に対する一二%である二〇七万三、八五〇円であるのに、被告会社の公表計上事業税は八三万六、四七〇円であるから、その差額一二三万七、三八〇円を損金として認容する
と主張する。
しかしながら、
(a) 前期における被告会社のほ脱所得金額が検察官主張のような額であることにつき、これを認めるに足る証拠がないので、実際所得金額が検察官主張のとおりであることも認めることができない。したがって三〇年一一月期に計上すべき事業税が検察官主張の金額であることは、これを認めるに由なきものである。
(b) 三〇年一一月期における実際所得金額が一、七二八万二、一〇〇円であることについてであるが、この額は被告会社の申告所得金額六九七万六、三〇九円とほ脱所得金額一、〇三〇万五、八五七円との合算額である、しかるに後者については、その内容をなす預金計上洩、棚卸商品計上洩、支払手形架空計上、買掛金架空計上については、すでに認定したとおり、その事実がなく、また事業税認定損、輸出所得控除、寄附金認定損もこれを認めるに由なきものであること後述のとおりであるから、右ほ脱所得金額の存在を肯定することができない。したがって実際所得金額が一、七二八万二、一〇〇円であることもこれを認めることを得ず、三一年一一月期における実際事業税が検察官主張のとおりであるということは、これを認めるに由なきものである。
そこで検察官の主張する事業税認定損はすべてこれを認定することができない。
(ト) 当期(三一年一一月期)分事業税否認(四一万三、二三〇円)
検察官は、被告会社は三一年一一月期において、当期中間分事業税として、合計四一万三、二三〇円を所轄台東税務事務所に支払って当期損金に計上しているのでこれを否認し、当期のほ脱所得に加算する、と主張する。
しかしながら、「中間申告納付に係る事業税に対する法人税の取扱について」と題する国税庁長官の通達(昭和三〇、九、一直法一-一六)によれば、このような中間申告納付にかかる事業税を、当該法定事業年度において納付した場合は、これを当該法定事業年度の損金に算入することに取り扱うものとすることとなっており、右通達は妥当なものであると思われるから、この点に関する被告会社の処置は適正であり、検察官の右主張はこれを認めることができない。
(チ) 輸出所得控除(三〇年一一月期△一三六万七、六七六円、三一年一一月期△二〇七万六、四七九円)
検察官は、租税特別措置法第七条の七にもとづく輸出所得の特別控除につき、被告会社は両年度の法人税確定申告書(物三一、物三二)別表八の二において、この控除額を
三〇年一一月期 一〇〇万六、三八〇円
三一年一一月期 一二七万八、九九二円
と算出しているが、これは被告会社の実際所得額を多額にほ脱したことによるものであり、それを実際所得額仮計にもとづいて本件輸出控除額を算出すると
三〇年一一月期 二三七万七、四五六円
三一年一一月期 三三五万五、四七一円
となるので、いずれもその差額
三〇年一一月期 一三六万七、六七六円
三一年一一月期 二〇七万六、四七六円
を所得金額から控除すべきである、と主張する。
しかしながら、すでに述べたとおり、被告会社には、両事業年度とも実際所得額を多額にほ脱した事実を認めることができないので、これにもとづく検察官の右主張は、これを肯認することができない。
(リ) 寄附金認定損(三〇年一一月期△八、七一三円)
検察官は、被告会社の架空仕入、架空経費の計上等の不正行為により、法人税確定申告書の別表六における寄附金の損金算入限度額の算出に当って、実際所得金額の仮計が過少になっているため、被告会社の計算による損金算入限度額は一三万一、二八七円となり、したがって三〇年一一月期の被告会社の寄附金損金計上額は一四万円であるところ、その差額八、七一三円を被告会社において所得額に自己加算しているが、実際所得金額仮計によって限度額を算出すると四二万九、二三八円となるので、右八、七一三円を所得に加算する必要がないから損金に算入する、と主張する。
しかしながら、すでに述べたとおり、被告会社の実際所得金額の仮計が架空仕入および架空経費の計上等により過少となっている事実は認められないから、これにもとづく検察官の右主張もまた、これを認めることができない。
以上別紙第三、第四の勘定科目のすべてにわたり検討した結果検察官の主張するような虚偽の所得申告の事実は、これを認定することができなかった。そこで起訴状記載の公訴事実第一、第二の法人税ほ脱の事実はいずれもこれを認めるに足る証拠がないので、刑事訴訟法第三三六条後段により、被告会社ならびに被告人中田、同三宅同牛山の三名に対し、いずれも無罪の言渡をなすべきものとする。
そこで主文のように判決した次第である。
(裁判官 東徹)
(別紙第一) 修正貸借対照表 30.11.30現在
<省略>
<省略>
(別紙第二) 修正貸借対照表
<省略>
<省略>
(別紙第三) ほ脱所得の内容(昭和30年11月期)
<省略>
<省略>
(別紙第四) ほ脱所得の内容(昭和31年11月期)
<省略>
<省略>
(別紙第五)
検察官がイリドスミンの架空仕入とするものの明細表
(昭和30年11月期)
<省略>
<省略>
検察官がイリドスミンの架空仕入とするものの明細表
(昭和31年11月期)
<省略>
<省略>
(別紙第六)
<省略>
<省略>
<省略>
<省略>
<省略>
<省略>
<省略>
<省略>
<省略>
<省略>
<省略>
〔総計〕
<省略>
(注) 本表中
1. 太田ノート(大)および牛山ノート欄の輸入イリドスミンと表示のあるのは、太田ノート(大)、牛山ノートの南阿、NA、タスマニヤ、lr、os、Ru、Rh、とあるものすべてを含む。
2. 太田ノート(大)および牛山ノート欄の北海道イリドスミンと表示のあるのは、太田ノート(大)に記載のIridosmin本ヂューム粉末、Iridosmin Powder、北海道 本ヂューム粉末再熔解、本ヂューム再熔解、再熔解本ヂューム、イリドスミン、粉末再熔解、再熔解、再熔解ヂューム、粉末再熔解ヂューム、再熔解(粉末)ヂューム、粉末本ヂューム熔解、再熔解ヂューム(粉末)、Iridosmin粉末本イリジューム、本ヂューム粉末Powder、牛山ノートに記載の粉末再熔解、金ペン用粉末再熔解(金ペン用)、再熔解イリドスミン、とあるものすべてを含む。
3. 公表欄の輸入イリドスミンと表示のあるのは、公表帳簿に記載の田中貴金属工業株式会社から仕入れたもの、佐藤唯之助から仕入れたオスミウムを含む。公表欄の北海道イリドスミンと表示のあるのは、上記以外のものである。
4. 太田ノート(大)、牛山ノートおよび公表帳簿にグラム単位で記載されているものは、すべて匁に換算した。
5. 期間は太田ノート(大)に記載のある、29年3月から31年5月までの間である。
(別紙第七)
太田ノート(大)および牛山ノートに記載のOS,Ru,Rhの使用量とOS,Ru,Rh,の公表仕入量との比較表
<省略>
(注) 1. OS,Ru,Rhはオスミユーム、ルテユウム、ロジユームの元素記号である。
2. 太田ノート(大)牛山ノートおよび公表帳簿にグラム単位で記帳されているものについては匁に換算した。
3. 期間は、昭和28年12月から昭和31年5月までの間である。
(別紙第八) イリドスミン以外の原材料のうち検察官が架空仕入とするものの明細表
(昭和30年11月期)
<省略>
<省略>
<省略>
イリドスミン以外の原材料のうち検察官が架空仕入とするものの明細表
(昭和31年11月期)
<省略>
<省略>
(別紙第九)
検察官が架空経費であるものの明細表
(昭和30年11月期)
<省略>
<省略>
<省略>
<省略>
(昭和31年11月期)
<省略>
<省略>
但し、笹原印刷所よりの戻り高2.700円を合計金額より控除した。
<省略>
<省略>
(別紙第一〇)
検察官が簿外であるとする銀行預金の利息割増金の発生明細表
富士銀行上野支店支払利息等
(昭和30.11期)
<省略>
<省略>
(昭和31.11期)
<省略>
三菱銀行下谷支店支払利息等
(昭和30.11期)
<省略>
<省略>
(昭和31.11期)
<省略>
日本勧業銀行下谷支店支払利息等
(30. 11. 期)
<省略>
(31. 11. 期)
<省略>
<省略>
割増金利息集計表
<省略>
(別紙第一一)
架空支払手形の各期末計上分の明細
<省略>